【近代西洋画】2019年6月 東京都美術館 「クリムト展 ウィーンと日本 1900」と上野駅・黄金の蟻
4月23日~7月10日 東京都美術館
巡回▶7月23日~10月14日 豊田市美術館
【プロローグ】
週末の仕事帰りに東京都美術館でクリムト展を鑑賞した。
平日は通常17:00までに入場する必要があるが、特別展開催中の金曜日は20:00まで開館している(入館は閉館の30分前まで)。
乳白の空が微かに雨を散らす中、球体のオブジェを横切り、エスカレーターを降りて18:30頃に入館した。
話題の展覧会なだけに、この日も来館者はかなり多いようだ。ロッカーは、空いていない。
通勤用の鞄を持ったまま、入口で係の方にオンラインチケット販売を利用して取得したバーコードを見せ、チケットを受け取って展示室へ入室した。
8部構成の展示は期待通り見応えあるものだったが、その中でも自分の中で特に印象に残った作品3点について記述してみたい。
【ヘレーネ・クリムトの肖像】
その細い首を隙間無く隠した白のドレスを纏った少女は、6歳のクリムトの姪ヘレーネである。
耳を覆い隠す艶やかな栗色の髪は短く切り揃えられ、あどけない横顔は僅かな緊張を湛えているように見える。
ドレスの白を朧に浮き立たせるやや黄みがかった乳白の背景は、部屋のドアのように見えるが定かではない。
その柔らかな色彩はクリムトに対して抱いていた黄金のイメージとは程遠い。
【べートーヴェン・フリーズ「敵対する勢力」(中央の壁)】
フリーズとは、神殿などの壁面上部に設けられた帯状の装飾部である。
1902年に開催された第14回ウィーン分離派展は、美術家同盟にその最良の時をもたらしたと今日なお語り伝えられている。
「芸術家の祭礼」という共通理念のもとに、21人の芸術家がその作品を展示した。
マックス・クリンガーの彫刻作品「ベートーヴェン像」を中心に、その周囲に展示された作品群と、クリムト作の「ベートーヴェン・フリーズ」等、この展覧会のために特別に制作された装飾作品が並んだ。展示する建物と個々の作品が一緒になって、「総合芸術作品」を形成していた。
このベートーヴェン展は、展覧会のあり方に転機を与えたものとして歴史的に重要である。展覧会の空間を一つの総合芸術として呈示し、今日において多くみられる統一テーマを掲げた展覧会の先駆けとなった。
このフリーズは、展覧会終了後処理されることになっていたため、ひどく安価な材料が使われていた(その後の修復の際にこれが大きな問題となった)。
すのこによしずを張って釘で止め、漆喰で化粧塗りを施した上に、クリムトは描いている。
特殊効果を狙って、壁張り用の鉄鋲、鏡の破片、ボタン、磨りガラス製の装飾品なども利用した。
そのような作品が、この展覧会のために製作された作品中で一つだけ生き延びることになった。
1970年、オーストリア国家がこの作品を買い上げ、金と時間をかけた入念な修復を施した。それと同時に、展覧会用に実物大の模写を作らせた。今回のクリムト展で展示されているのはこの模写らしい。
「ベートーヴェン・フリーズ」は、鑑賞者の左側の長い壁「幸福への憧れ」、正面の狭い壁「敵対する勢力」、右側の長い壁「幸福への憧れは詩情に慰めを見いだす」の3部分から成っているが、これらは連続した物語ではなく、クリンガー作のベートヴェン像(展覧会の中心作品)によって具現される理念「芸術による救済」を寓喩的に表現する幾多の光景を形作るものだった。
個人的に最も印象に残ったのは中央の壁の絵である。
1902年当時の展覧会カタログにおいて、中央の壁の絵は次のように説明されている。
「怪物テュフォン、この怪物に対する戦いでは神々さえ無力だった。テュフォンの娘、すなわち3人のゴルゴーン。病気、狂気、死。肉欲と不貞、不節制、心を責めさいなむ苦悩、人間の希望と憧れはこれらを越えて飛び去っていく。」
実際に目の当たりにしたとき、まず目を引いたのは全身黒毛に覆われたゴリラのような巨人テュフォンだった。しかし、神々を寄せ付けない強さや恐ろしさは、何故か感じられない。
テュフォンの向かって左手に、黒髪の不自然なほどに膨らんだ叢に黄金の蛇を飼うゴルゴーンの3人の娘が、冷然たる視線をこちらに投げ、細身の白い蠱惑的な肢体を曝している。
その後ろには痩せ細ったやや土色がかった肌の女が、双方の上腕を水平に広げ、肘から下はだらりと下げた誠に不自然な姿勢でこちらを窺っている。海中に蠢く藻の如き黒髪が右の上腕から重く流れ落ち、重力に抗えぬ長い乳房が地に向かって垂れ下がっている。また、女の右腕の後方には不気味な4つの顔が並んでいる。これらは「病気」「狂気」「死」の寓意像である。
テュフォンの向かって右手には、背を向けた姿でこちらを瞥見する赤毛の淫欲、金色の椅子の背もたれと同化したような金髪の官能、突き出した肥満体の腹の下に金の鈴模様の青色の腰衣を纏う太った放縦、の3人の女がいる。
さらに右に目を移すと、女が蜷局を巻く蛇と思しき生物の上に腰かけ、目を閉じた顔を右に傾けている。左手を首の後ろにあて、右手で右足を抱えている。体には黒い薄衣か髪の毛か判然としない繊維状のものがまつわっている。この女は心を責めさいなむ苦悩の寓意像である。
【人生の三時期】
「人生の三時期」の主題は、生命の循環である。
美しい若い女が、眠っている天使の如き幼子を胸に抱いている。
2人の肌は白く艶やかに潤っている。
若い女の右足の辺りからは青く透けた薄衣が巻き上がり、膝上を通って幼子の左足首を隠している。
若い女と幼子は、絶えざる変化を伴って躍動する若い細胞を想起させる、色彩に富む抽象的な図柄の内側に包まれているように見える。
その傍らに、項垂れて髪に隠れた顔を左手で覆う年老いた女の姿がある。
艶を失った土色の肌をしている。力なく下げた右腕には血管が浮き出ていて、乳房は伸びて垂れ下がっている。筋肉の衰えたと思しき下腹部などは他人事とは思えない。
また、錆朱の液体に浮遊する夥しい球体であるかのような背景は、死に向かう滞った細胞を想起させる。
書籍「クリムト」(ゴットフリート・フリードゥル著)によれば、「人生の初期の特徴は尽きることのない可能性と変容であるが、人生の終末期の特徴は現実と直面せざるを得ない変化のない画一性である。人生の初めは夢によって特徴付けられるが、・・・・人生の終わりはかなわぬ夢によって特徴付けられる。」のだそうだ。
【エピローグ】
鑑賞後の食事のため予め予約をしておいた上野公園内の韻松亭に向かう。韻松亭のホームページからネット予約が可能だが、支払は現金のみとのこと。
入口で名前を告げ、靴と傘を預けて案内に従い階段を上がる。
二階のカウンター席が用意されていた。カウンター席からは前方の窓越しの景色を楽しむことが出来る。窓外にはテラスが設えられており、篝火が紫紺の闇を照らし、木々の濃い緑を浮かび上がらせる。
日本酒の飛露喜を一合注文した。ややあって、仄暗い照明に弱く煌めいた透明な酒が片口で供された。
口に含むと、すっきりとしているが微かな果実香も感じられる。日本酒が苦手な傍らの友人もこれなら飲めると言っていた。
酒杯を軽く傾けて口を潤しながら、丁寧に作り込まれた季節の会席を味わう。束の間の現実逃避。
夜も更けた上野駅のペデストリアンデッキで、もう一つの黄金に出会った。作品名は「アリ・アリング」。
バベルの塔の如き大理石の上り坂を黄金の蟻が卵を運び上げている姿のオブジェである。精密な造形を施された黄金の蟻は美しかった。
黄金の画家クリムトを堪能した同じ夜に更なる黄金へと導かれる僥倖に浴し、帰路に就いた。
(参考文献)
クリムト(著者:ゴットフリート・フリードゥル 出版社:TASCHEN)
芸術新潮2019年6月号